杖道とは
 杖道は古来杖術と称されましたが、杖を用いた武術で、様々な流派が有ります。
私達が取組んでいるのは全日本剣道連盟杖道とその元となった神道夢想流杖術です。
神道夢想流杖術は四百年余りの歴史を持つ福岡発祥の日本古来の武道です。
杖道の歴史や技法に就いて簡単な紹介を致します。
全日本剣道連盟杖道の歴史
 全剣連杖道の元となった神道夢想流杖術の流祖は、夢想権之助勝吉と言い飯篠長威斎家直を流祖とする天真正伝香取神道流の道統七代に当たります。
神道流の奥義を極め、更には鹿島神流の極意「一の太刀」も授かったと伝えられます。
慶長元和年間東国に於いて諸国武者修行に出て多くの剣客と立合ったが、一度も敗れる事が無く、更に西国に修行に向かう途中、播州の明石に於いて、宮本武蔵と立合い武蔵の極意とする十字留の技にかかり進む事も引く事も出来ずに破れました。
 それ以来、勝吉は更なる修行に努め、筑前國(現、福岡県)太宰府の修験場である霊峰宝満山に至り祈願参籠、三七日目(二十一日目)の満願の夜、夢に二人の神童が現れ「丸木を以って水月を知れ」との神託を伝えました。勝吉は是をもとに更に工夫を重ね、終に棒杖の術を編み出し宮本武蔵を破ったと口承されています。奥伝に武蔵を破った技と言われる形が「水月」との名称で伝えられています。
 その後、勝吉は創始した棒杖の術を以って筑前福岡藩に召抱えられたとされますが、確かな資料は残っていません。然し、その技芸は途中三派に分れながら福岡藩士に依って幕末迄連綿と伝えられました。又、その術技は江戸期に朝倉地方の三奈木黒田家の家臣にも伝えられ、この地域でも大いに行われました。
明治維新を迎え当流は衰退しますが、そのときに残った福岡の二派の合同が行なわれ、その後全国に普及活動がなされ、昭和五年には清水隆次先生が福岡より上京し普及に努め、翌六年には警視庁に警杖術として神道夢想流杖術が採用され現在の警杖術の基となりました。又、剣道、居合道、杖道の範士として知られる中山博道は旧福岡藩士内田良五郎重義に神道夢想流杖術を学んでいます。
 昭和十五年大日本杖道会が設立され、戦後の昭和三十年に日本杖道連盟が発足しましたが、昭和三十一年には全日本剣道連盟に加入、全剣連に於いて制定杖道が研究され、昭和四十三年に全日本剣道連盟制定杖道形十二本と基本技十二本が定められ、全国に於いて普及活動が為され、現在、全剣連主催や各都道府県剣連主催の大会や講習会も開かれ普及活動が行われています。
 その一方で神道夢想流杖術としての伝承も続けられ、術技と共に古来の切り紙、巻物の伝授も行なわれています。
杖道の技法
 杖道の稽古は江戸時代からの稽古法である形稽古です。
打太刀と仕杖により形を行い、用いる杖は長さ四尺二寸一分で死に一分を加えたとの意であり、太さは八分で末広がりを表し丸は和を表します。
太刀、杖の何れも白樫製を用います。斬り付けてくる太刀を捌き、杖で制するものですが、防具は用いず、素面素籠手で行いますので、気を抜けば大きな怪我に繋がります。 杖の気合は打つ時は「エイッ」、突く時は「ホウ」と発します。
神道夢想流杖術は、太刀と杖による六十余本の形と剣術十二本の形から為るものです。 六十余本は段階的に、表、中段、乱合、陰、五月雨、奥伝、極意と構成され、夫々の段階に応じて心身を練る様、形に於いて工夫がなされています。
杖術の特色としては、
「突けば槍 払えば薙刀 持たば太刀  杖はかくにも 外れざりけり」
と道歌に有る様に、打つ、突く、薙ぐと様々に用いられ、太刀と異なり刃も無く柄も無く、先も元も有りません。
何れも刃となり柄となり、其の動きは千変万化です。
其の術技は神武不殺と言われ、道歌にも
「疵つけず 人をこらして 戒むる  教へは杖の 外にやはある」(平野次郎國臣詠)
とあります。
 神道夢想流杖術に於いては、江戸期より福岡に連綿と伝えられた術技を変える事無く継承し現代に伝えています。
猶、併伝武術として、神道流剣術、中和流短剣術、一心流鎖鎌、内田流短杖術を行なっています。
全日本剣道連盟杖道
基本本手打、逆手打、引落打、返突、逆手突、巻落、繰付、繰放、体当、突外打、胴払打、体外打(右、左)
着杖、水月、引提、斜面、左貫、物見、霞、太刀落、雷打、正眼、乱留、乱合
神道夢想流杖術
太刀落、鍔割、着杖、引提、左貫、右貫、霞、物見、笠之下、一礼、寝屋之内、細道
中段 一刀、押詰、乱留、後杖、待車、間込、切縣、真進、雷打、横切留、払留、清眼
乱合 大太刀、小太刀
太刀落、鍔割、着杖、引さけ、左貫、右貫、霞、物見、笠の下、一礼、寝屋之内、細道
五月雨一文字、十文字、二刀小太刀落、ミジン、ミジン、眼ツブシ
奥伝(仕合口) 先勝、引捨、小手搦、十手、突出、打附、小手留、打分、水月、左右留、見返、あうん
極意 闇打、夢枕、村雲、稲妻、導母